西暦600年、1400年の歴史
【日時】令和4年12月7日(水)
奈良県・法隆寺、薬師寺
令和4年12月、久しぶりに奈良県法隆寺と薬師寺に出掛けてきた。法隆寺については中学校の卒業旅行以来、また薬師寺については平成の大改修以来の訪問となった。
法隆は、聖徳太子と推古天皇が飛鳥時代の607年(推古15年)に創建した。 現存する世界最古の木造建築群として重要な史跡であり世界文化遺産に登録されている。聖徳宗の総本山で斑鳩寺(いかるがでら)などの別名がついている。
この木造建築として世界最古と言われる法隆寺について、JMRA主催「木の文化を探る」と題する小原二郎教授(千葉大誉教授)の講座を受け大変感動したのが今から20年前。起源は607年、聖徳太子が用明天皇の遺志を継ぎ、薬師三尊像を安置したのに始まる。 その後、聖徳太子没後には王妃・王子らが釈迦三尊像(止利仏師作)を安置して冥福を祈った。 この二つは現在も金堂に安置されている。
法隆寺の建造物で使われている木材は「檜」であり非常に強度が高いと言われ、また保存性が高い樹種だ。杉の木は約500年で強度がピークなのに対して「檜」は1000年が経過してもなお強度がそれほど変わらないと言われている。法隆寺五重塔は、高さ約32m、勿論ヒノキが使われ「積み上げ方式」と言われる建築様式だ。薬師寺もそうだが 塔の真ん中に一本の柱があり、これは各階とは接合されず分離されており、各階は単純に重ねてある構造。 地震の際は、各階が互い違いに揺れ、振動を吸収する免振構造になっている。
「法隆寺」を視察した後に、古都奈良の文化財の一つとして世界遺産に登録されている薬師寺へ向かった。 奈良時代に「南都七大寺」として、東大寺と法隆寺と並んで朝廷の保護を受けていた。680年、天武天皇が藤原京で創建し、平城京遷都にともなって現在地に造営された。薬師寺の西棟は、奈良時代には現在のように東塔と並ぶ形で建っていたが、戦国時代の享禄元年(1528年)に起きた兵火により焼失。その後長らく再建されずに東塔のみが残されたが、約42年前の昭和56年(1981年)、約450年ぶりに西岡棟梁により再建された。その後、東塔は平成の大改修にて再建された。この大改修の取材は以前のこのサイトで紹介している。
取材:株式会社アップル 大竹喜世彦
JMRA日本民家再生協会正会員
HICPM住宅生産性研究会正会員