旧青木家那須別荘・旧乃木希典終の棲家
【日時】令和4年8月14日(土)
栃木県・那須塩原市,那須町町
令和4年8月お盆休みの期間中に栃木県北部の那須塩原市、黒磯町にある「旧・青木外務大臣邸」「旧・乃木希典将軍邸」を再訪してきた。
まずは青木邸から。前回は建築的な要素をメインにレポートを書いています。
この建築は明治時代にドイツ公使や外務大臣等を務めた青木周蔵が那須別邸として建てた建造物です。平成11年(1999)12月に国重要文化財に指定されました。
今回は日本初の外務大臣「青木周蔵」について少しふれておきます。明治期の外交官としての青木周蔵の半生は、条約改正交渉に長く深く関わり、外交政策として早くから強硬な討露主義と朝鮮半島進出を主張し、日露戦争後は大陸への進出を推進しました。留学生・外交官(ドイツ公使)として滞独生活は25年に及び、日本におけるドイツ通の第一人者としてドイツの政治体制、文化の導入をはかりました。獨逸学協会にも会員として在籍し、獨逸学協会学校の評議委員も務めたことからもこの青木邸の建築構造と建築様式においてドイツの建築様式が多々取り入れられていることが分かります。
英国人ジョサイヤ・コンドルによる建築様式の影響が多い東京台東区池之端にある旧岩崎邸と比べると面白いかもしれません。青木周蔵は外務大臣として、条約改正交渉を主導し、条約改正方針として「青木覚書」を山縣有朋内閣の閣議に提出しています。その骨子は、
1:外国出身の法律家を大審院の法官に任用せざること。
2:法典を早きに及びて編成発布することを約束せざること。
3:不動産の所有権は、領事裁判を撤去せざる間は、其抵償物として之を外国人に許与せざること。
4:外国人取扱上に付き経済上又は法律上、或る場合に於ては特権の制限を設くること。
今の外国人優遇政策をとる自公民政権に比べはるかに真っ当な「日本国民主体」の政治が行われていたと感ずる部分です。また青木周蔵氏の留学生・外交官(ドイツ公使)としての滞独生活は25年に及び、日本におけるドイツ通の第一人者としてドイツの政治体制、文化の導入をはかりました。当時の日本政府が英国人招致から日本の封建制度に近いとされたドイツへと偏重された時代と言えます。
さて、この日はやや近くの那須高原の一角にある「大麻博物館」で戦前戦後共に大麻生産量日本一の栃木県として大麻についての見識を高めてまいりました。その後、観光地としてにぎわいをやや取り戻した「千本松牧場」にてランチを取り、最後の「旧・乃木将軍御夫婦勧農の地」を再訪いたしました。
取材:株式会社アップル 大竹喜世彦
JMRA日本民家再生協会正会員
HICPM住宅生産性研究会正会員
【那須塩原市青木/旧青木家那須別荘】
【那須町高久乙/大麻博物館】
【那須塩原市/千本松牧場】
【那須塩原市石林/乃木将軍御夫婦勧農の地】
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