建築リフォーム

旧岩崎邸(6)

三菱創業者・岩崎弥太郎の長男久弥は明治24年に米国ペンシルベニア州・フィラデルフィアのペンシルベニア大学に留学している。そして帰国後の明治29年に、この旧岩崎邸洋館を着工している。そこでわたしはこう考えた。フィラデルフィアはボルティモアなどと並んで英領であった米国の独立戦争(南北戦争)の舞台であり、独立宣言した建国の都市である。映画ロッキーの万歳の舞台、リバティーベル(自由の鐘)には観光客が絶えず、大工組合(カーペンターホール)、石工(メーソンリー)の聖地フリーメイソンの本拠地でその建物も街の中心に建っている。フィラデルフィアに行ってみると、都市の中心に全米一の高さを誇るシティーホール(市役所)がありその塔の頂点に「ウイリアムズ・ペン」の銅像が乗っている。ウイリアムズ・ペンは、当時の新大陸(新天地)である米国に英国人・シビルエンジニアリング(都市計画技師)として招致された人物だ。1600年、1件のパン屋から市内がほぼ全焼したロンドン大火は有名だが、クリストファ・レンが不燃都市として再生する際にその建築は煉瓦造のルネッサンス建築で行われた。ロンドンは、ルネッサンス建築で全て再生されたのだ。一定の期間で終了し仕事に溢れかけたときに英国がとった政策が米国という新天地フィラデルフィアの丘の都市計画であった。しかし、そのときに使われたのがルール&アーティクルという建築教書である。この教書があったらこそ職人たちが同じ技術の同じデザインの同じフィラデルフィアの都市計画が英国人エンジニアであるウイリアムズ・ペンによって作られたので「ペン・シルベニア(州)」なのだ。英国人の大工と石工は、絶大な権力を持ち、知事と同格の権威を誇っていた。だからフリーメイソン(秘密結社)はメーソンリー(石工)の聖地であり、カーペンターホール(大工組合)が絶大な権力を持ったのがフィラデルフィア(独立宣言都市)といえる。フィリー(フィラデルフィアの通称)は、米国が英領から独立前からすでに、ルネッサンス建築による、煉瓦、組積(メーソンリー、石工)、木造(カーペンター、大工)が混合するミクストユースのルネッサンス建築で統一された。建築様式としては、左右対称の貴族が好むデザインで玄関レベルがGLと同じ「ジョージアン様式」、左右非対称な自由を表現し一段玄関が上がり玄関からの見晴らしが快適で地下室がちょっと見える「ビクトリアン様式」に、封建的で権力的な雰囲気のある「フェデラル(連邦)様式」がフィリーには圧倒的に多い。時々見られるのはルネッサンス(古代ギリシャ、ローマ建築への懐古主義)のなかでも「グリーク・リバイバル様式」やフランスの第2帝政時代の「第2帝政様式」(ルネッサンスは英国だけでなく他のヨーロッパや世界中で巻き起こったもので、建築においては、日本も世界中でも近代化の象徴とされた)が見られる都市がこのフィリーである…
話がだいぶ離れてしまったが、私の持論はこうだ。明治24年に岩崎久弥は、このフィラデルフィアなるペンシルベニア大学に留学し、帰国後の明治29年に「岩崎邸」建設に着工しているという事実だ。大学留学時にこの「ルネッサンスル建築の宝庫・フィラデルフィア」を目の当たりにした岩崎久弥は度肝を抜かれたに違いない。当時の日本の近代化はルネッサンスということで、間違いなく英・米に倣おうと久弥は帰国後、東京帝国大学に招致されていた英国人建築家ジョサイア・コンドル(コンドルの奥さんも日本人で、その後東大学長となった辰野金吾はコンドルのヒゾッコとして東京駅などの設計にあたっている)をお抱え建築家として全面的に「岩崎邸創建」を任せていたのだ。下の画像は、岩崎邸内部で2階に上がる階段だ。↓
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これは、フィラデルフィアのシティータバーン(居酒屋)の階段↓
友人のSさんが写っているが…岩崎邸の方が豪華絢爛
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岩崎邸の内部
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フィラデルフィアのドーリア式やイオニア式(男女を著わす)ポーチと「グリーク・リバイバル様式」
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フィラデルフィアのグリークリバイバル様式↓
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岩崎邸の装飾↓
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岩崎邸の暖炉  各部屋の暖炉は全て違うデザイン↓
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フィラデルフィアのカーペンターホル内部の暖炉
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