「建築」はその時代の歴史・文化を今に伝える生き証人といえるだろう。昨日久しぶりに見学した「旧・岩崎邸」「東大建築」「根津神社・湯島天満宮」について、まずは「岩崎邸」からレポート。三菱の創業者・岩崎弥太郎の長男で三菱3代目社長の普段の生活はこの洋館の南側に建つ伝統的な日本家屋でこちらは当時の500坪から減築されている。敷地は、当時東西に長く、以前調査した際には東側の煉瓦の塀で囲まれた「無縁坂」から西側は湯島天神よりも西側のラブホテル街に近い坂道までの広大なものであった。さて、この「旧岩崎邸」の洋館は、先の生活の場であった日本家屋よりも規模は小さいものの別邸・迎賓館として使われていた。建築デザインは、ジャコビニアン様式と言われているが、ルネッサンス建築のビクトリアン様式と言っていいと思う。当時の日本の近代建築は、「ルネッサンス建築」が指針であったが、この建築様式は英国の王族の時代時代で呼び名が変る。「ジャコビニアン様式」は、17世紀のジェームズ1世からチャールズ1世当たりの時代の人気のあった建築スタイルであり、同じように時代が変わると「アダム様式、エリザベス様式、ジョージアン様式、ビクトリアン様式」などと呼ばれている。ルネッサンスは、学校の教科書では総体的に「文芸復興」と習って来たが、ルネッサンス建築は、「古代ローマ」への憧れや原点回帰をあらわす建築デザインである。英国に限らず、フランスの「第2帝政様式」や米国の「フェデラル様式(連邦)」として、また戦前に日本が併合した韓国、植民地であった台湾、満州国の都市計画では、間違いなくこの「ルネッサンス建築」が採用されている。西側の無縁坂の煉瓦の外塀のの中が「岩崎邸」の敷地内であるが、この外塀とほぼ平行の「石積」の上り坂をあがった敷地の北東側が「入口」である。この入口手前の見逃してしまいそうな場所に、三菱の社紋の「袖塀」があり、三菱の初期の菱形の紋章が目に入る。