建築リフォーム

高麗古民家(旧・新井家住宅)

埼玉、飯能の帰り道、日高市郊外にある「高麗(コマと読む)古民家」に立ち寄った。あいにく閉館16時ぎりちょんだったため内部までは諦め外観だけ見せていただいた。この界隈は高麗駅、高麗神社があってハングル文字の標識まで見えたのでこの神社も少し寄ってみたところ1300年前の渡来人と関係のある地らしい。しかし、1300年前に日本に来たんだろうか?朝鮮半島は青銅器や鉄器時代の後、たしか約2000年前、新羅、高句麗、百済という3国ができたことは歴史で学んだ。1300年前って新羅じゃないの?高麗はその後だから、ちょっとおかしいし、半島から渡来するなら、九州や福井、石川あたりなら未だしも、半島からの渡来人が、人も居ないような埼玉の奥地(秩父まで行かなくても)にどうやって集落をつくりこんな僻地に神社の痕跡を残したんだろうか?そのころの日本(1300年前)は白鳳文化、奈良の薬師寺の時代でしょう?「奈良の都でシチトレ(710年)」って中学の歴史で覚えた奈良時代、白鳳伽藍の頃でしょう。飛鳥時代の遣隋使、遣唐使は、唐の時代が長かったので平安まで続いていて、1300年前の奈良の都と大陸の皇帝は繋がりがあっても、朝鮮半島は3国時代でもその後の500年も続いたモンゴル支配の李氏朝鮮の時代だって、2000年間以上、大陸の皇帝の家臣(属国)であった朝鮮の国(というより領土)が大陸から何の許可もなく、大和の国に渡来して仏教全盛期の1300年前の大和日本で布教等が出来たとはどう考えてもおかしいと思った。わたしの浅はかな歴史認識ではあるが皆さんどう思われるでしょう?さて、話が高麗神社1300年に行ってしまったので、「高麗古民家」に戻そうか!旧新井家住宅が、日高市の重要文化財に登録され近年公開されたようだ。新井家かー。新井さん(シンさん)、木村さん(キムさん)…たしかに在日韓国人と朝鮮人に多い名前であり祖国のアイデンティティから日本名を名乗る方々が多い。大陸の人は何故かそのままの名前で在留しているのだが…。内部までよく見れなかったけれど、この新井家住宅の外観は、この界隈の日本の古民家よりもはるかに上層の佇まい。素晴らしい古民家といえる。次回、じっくりと視察してみたい。しかし、こちらの界隈には、渡来した半島の人たちにより染めの技術が伝来したというお話を聞いたが少々疑問が残る。当時の半島には焼き物なら白磁、衣裳なら白衣の技術しかなく、染料技術は日本から伝えられたはずだからだ。チャングムなどの豪華絢爛な女医さんの物語に出てくる染物…これなど相当歴史認識が足りない物語であり、まさに「嘘も100回言えば本当になる」ような感じだ。日高の高麗界隈の「染物」はちょっと深く調べて見たくなる話でもある。
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どう見ても、お寺のようだ
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